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春の花雑記

皆さんこんにちわ。いかがお過ごしでしょうか。


先日、梅まつりにとあるところへ^^


福岡県築上郡築上町高塚794-2にあります、『綱敷天満宮』


境内には一千本の梅があり、白梅から紅梅と楽しめます♪


梅まつりは3月上旬くらいまではやっているみたいです。参道には、


屋台も出てます♪イカ焼きがいい匂いしてました^^


ここは、菅公左遷の際に、船が嵐にあい、ここの浜の宮に漂着したと言い伝えがあり、天満宮が建立されました。


この言い伝えの話の延長が久留米の北野天満宮の河童の腕のミイラ。公式には、菅公は那の津に上陸し、休憩した場所が現在の福岡市中央区警固のあたり。なので、あの地域一帯を『天神』といいます。


菅公は言い伝えや伝説の類が多い方ですが、そういうのを調べていくと、果たして一人だったのだろうか?なんて考えてしまいます(笑)


平安の当時愛でていた花は、主に梅。この頃は桜ではないんですよね。梅が終わるころに咲き始めるのが桃で、桃が咲ほこる頃は気候的に過ごしやすくなり、また華やかになってるので、その世界が続く様子が桃源郷。


時代が進むと桜を主とする花見が始まりますが、これは山桜。


政権が中央から関東の鎌倉幕府に移ると、大島桜や江戸彼岸桜などが都へ持ち込まれ、桜の地位が特別なものになったんだとか。


梅と桃の花を愛でることは、元々は大陸文化であり、それを輸入して昇華した国風文化にも受け継がれました。


では、桜は日本人独自なのかと言うとそういうわけでもなく、実は唐代の詩人『白楽天』が27首に及ぶ桜の詩を残していて、その影響じゃないかと言う学説が。


大々的にお花見が行われたのは、豊臣秀吉の醍醐の花見。およそ700本の桜を醍醐に植えさせて、近親者や諸大名を呼び花見をしたんだとか。


この頃から江戸時代は庶民の花見は禁止されています。贅沢だということで。


ソメイヨシノが出てくるのは江戸末期。江戸の染井村の吉野さんが接いだ木がソメイヨシノになり、実をつけることはないので、接ぎ木で増える。つまり、全部元は一本の木で、現在あるのはすべてクローン。


なので一斉に咲く。


私の一番好きな時期がやってきます^^


また、このブログでのお花見を(笑)やってみましょうかね♪


三寒四温。


気温差の激しい日々が続きますが、皆さんご自愛ください。コロナもまた流行しているような感じですが、負けないように!

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